はじめに:600年生き続けた松を守る!天然記念物の外科治療という特別な仕事
「庭の松の幹に穴が開いているけど、どうすればいいのだろう」「古い松を枯らしたくないが、どんな治療が必要なのかわからない」「空洞がある松は倒れてしまわないか心配」松の幹や枝の腐朽・空洞化に関するこういった疑問は、樹齢を重ねた古い松を持つご家庭でよく耳にします。
令和4年(2022年)秋、一関市川崎町薄衣地内の「笠松公園」で、岩手県指定天然記念物の「薄衣の笠松3号木」の治療を行いました。一関市教育委員会と笠松保存会からの委託によるものです。
この笠松3号木は600年もの歴史を持つ巨松で、幹や枝に複数の大きな空洞が開いた特殊な状態の松です。この治療には1人で15日分(15人工)の作業時間を要しました。
このページでは、天然記念物の巨松に行われた本格的な外科治療の全記録を通じて、「松の空洞がどのようにしてできるのか」「どのような治療が行われるのか」「自分の庭の古い松にはどのような管理が必要か」を詳しくお伝えします。
笠松3号木とは:600年の歴史を持つ岩手県指定天然記念物
笠松公園と笠松の概要
一関市川崎町薄衣地内にある「笠松公園」は、岩手県指定天然記念物の「薄衣の笠松」が保存されている公園です。



笠松は合計10本ありますが、そのうち笠松1号木はすでに松くい虫の被害に遭って伐採されています。

現在の主木は「2号木・3号木」の2本です。しかし主木以外にも7本の笠松があり、合計10本の笠松が存在します。

管理が行き届いていない7本の「残念な」笠松
主木2本以外の笠松は過去に手入れが行われた形跡がほとんどなく、2号木・3号木同様に高さもあり樹形もよく見ごたえはあります。しかし現在は管理が施されていないこともあり、枝枯れ等が多数発生して衰退の方向に向かっている「残念な」状態です。
主木の2本以外の他の笠松にも手をかけることができれば「笠松公園」はもっと見ごたえのある空間になることが予想できます。笠松保存会の会員の方々の高齢化・人員不足・資金不足・関心不足等の理由で、保存活動が減衰してきているのが現状です。
600年も生き延びてきたこの笠松に、もっと多くの方に関心を持っていただき、適切な援助が行われることを願っています。
笠松3号木の見どころ:空洞だらけの「変わった松の木」
笠松3号木は巨木で樹形に趣があり、特殊な幹の状態をしています。特に大きな空洞が幹や枝にいくつも開いている姿は非常に珍しく、これが笠松3号木の見どころのひとつです。

笠松3号木の空洞:幹と枝に開いた大穴の実態
幹に空いた腐朽による大穴1:見れば見るほど驚く規模




近くに寄れば寄るほど、その空洞の大きさと深さに驚かされます。
幹に空いた腐朽による大穴2



幹には複数の場所に大きな空洞があります。巨木でしかも特殊な幹の状態をしている「変わった松の木」と何度見ても感じます。
枝に空いた腐朽による空洞1・2:枝の中心が数メートルにわたり空洞に


通常は枝の中心の心材が腐朽します。枝の腐朽の空洞入口から中を見ると、枝の中がすっかり腐朽して数メートル向こうまで空洞になっているのがわかります。


枝に空いた奇妙な空洞3:二重に腐朽が起こった珍しいケース
高い所にある枝の切り口部分では、中心の心材とその外側の層を取り巻く心材が二重に腐朽が起こっているという、珍しい形の空洞も確認されました。


なぜ空洞ができるのか:松の幹・枝が腐朽するメカニズム
空洞ができる2つの原因:自然災害と人災
笠松3号木誕生から600年もの歳月のうち、いつの時代にこの空洞ができたかはわかりません。しかし空洞が生じるには必ず理由があります。
ひとつは「自然災害」です。台風・雷・大雪・強風などの天災によって枝や幹が折れたり傷ついたりすることで、そこから腐朽菌が侵入して空洞が形成されます。
もうひとつは「人災」です。人為的に木を切るなどして枝や幹が折れたり傷ついたりすることも空洞の原因になります。これは庭の松でも同じで、剪定の切り口に癒合剤を塗らなかった場合、そこから腐朽菌が侵入して内部が腐朽することがあります。
腐朽菌という「自然界の掃除屋」の役割
空洞を作る「腐朽菌(きのこ類など)」は、衰退や死滅した木を分解する重要な働きがあります。自然界では枯れ枝などが腐朽・分解されて、いつまでも存在しないように保たれています。腐朽菌はいわゆる自然界の掃除屋です。
この腐朽菌の活動が過去から現在にわたって笠松にも起きてきたと考えられます。大きな空洞は腐朽部の壁がすっかり固くなっている部分が多いことから、短時間でできたものではなく、長い年月をかけて形成されたものです。
この知識を自分の庭の松管理に活かす
腐朽と空洞化のメカニズムを理解することで、自分の庭の松管理に役立てることができます。
剪定後の切り口には必ず癒合剤(トップジンMペースト等)を塗ることで、腐朽菌の侵入を防ぎます。傷口・折れた箇所も早期に癒合剤で保護してください。幹にキノコが生えていたり、叩いて空洞音がする場合は早めに専門家に相談することが大切です。
治療前の状況:内部に潜んでいた深刻な問題
遠目には大きく立派な松、でも近くで見ると深刻な状態





樹冠の内部が薄暗く、日があまり地面に届かない状態でした。

木の上に登って初めて見えた衝撃的な内部の状態
木に登って内部を確認すると、さらに深刻な状態が次々と発見されました。

まず驚いたのは、松の枝にヒノキ類が生えていたことです。

これは枝の腐朽部分や堆積した有機物の中に、風で運ばれてきた種が根付いたものと考えられます。本来そこに生えるべきではない植物が生えているのは、内部環境がそれだけ悪化していたことを示しています。
さらに5mくらい上の横枝に、何かの動物の溜め糞も発見されました。

そして枯れ葉・枯れ枝・松ぼっくりがギッシリついている深刻な状態も確認されました。





遠くからでは樹冠しか確認できませんが、近くで観察しないと樹冠の内部で何が起こっているかは到底わかりません。これは一般的な庭の松でも同じことがいえます。
笠松3号木の外科治療:5つの作業内容
治療の全体概要
今回の治療のメインは以下の5つです。枯れ枝・枯れ葉の除去、腐朽部(空洞部)の腐朽材処理と殺菌、枝にはびこる地衣類の除去、土壌改良(腐葉土との混合)、支柱の応急処置です。
笠松3号木の全治療の作業工数は、1人で15日分(15人工)という大規模な作業でした。
治療1:枯れ枝除去・木の上で行う高所作業


巨大な松の内部での枯れ枝除去は高所での作業になります。枯れ枝は病害虫の住処になるだけでなく、強風や積雪で落下して人や周囲への被害を引き起こす危険もあります。すべての枯れ枝を丁寧に取り除くことが最初の大切な作業です。
治療2:地衣類の除去・枝を覆い尽くしていた苔の仲間
作業前の状態です。地衣類(苔の仲間)がギッシリと枝にこびりついていました。



地衣類は湿気が強いとどんどん増えます。枝や新芽を覆い成長できなくなり、最終的に枝が枯れる原因になります。
作業後の状態です。ほぼ全枝にわたる地道な作業でしたが、地衣類を除去しただけでこんなにきれいになりました。

地衣類を取った直後の枝はしっとりと湿っていました。それだけ水分を保っていた証拠です。



治療3:空洞処理・腐朽材の除去と殺菌
空洞内の腐朽して柔らかくなっている心材を取り除きます。



結構な量の腐朽材が出てきました。

最後に殺菌剤を散布して空洞処理を終了します。

治療4:土壌改良・根の環境を整える
土壌が湿地の傾向があり松にとってよくないことから、土壌改良として腐葉土を現在の土壌と混ぜる作業を行いました。



笠松3号木周辺の半径5mくらいの草を刈り、土を柔らかく耕した後、腐葉土を耕した土壌と混ぜ合わせて均らしたら土壌改良作業完了です。
土壌改良が松の治療に含まれる理由は、根の環境が松の樹勢に直接影響するからです。湿地や固い土壌は根が呼吸しにくく、樹勢の低下や病害虫への抵抗力の低下につながります。腐葉土を混ぜることで土壌を柔らかくし、根が健全に呼吸・成長できる環境を整えます。
治療5:支柱の応急処置・倒木リスクを抑える
仮設で支柱の応急処置は済ませましたが、相当傷んでいるため近い将来全支柱の交換が必要です。






大きな空洞がある松は幹の強度が低下しており、強風や積雪時に幹が折れる危険があります。支柱で重い枝を支えることで倒木・折れ枝のリスクを低減します。庭の松でも、大きくなった枝は早めに支柱を設けることが安全管理の基本です。
治療前後の比較:15人工の作業がもたらした変化
樹冠内部では松ぼっくりと枯れ枝・枯れ葉を除去する手入れがメインの作業でしたが、それだけでも外観的に大きな違いが現れています。
作業前 1

作業後 1

作業前 2

作業後 2

作業前 3

作業後 3

作業前 4

作業後 4

作業前 5

作業後 5

この治療から自分の庭の松管理に学べること
「遠目には大丈夫に見える」が最も危険な状態
今回の笠松3号木の事例で最も重要な教訓のひとつは「遠くからでは樹冠しか確認できないが、近くで観察しないと樹冠の内部で何が起こっているか到底わからない」ということです。
これは庭の松でも全く同じです。遠目には元気そうに見えても、内部では枯れ枝が蓄積していたり、病害虫が繁殖していたりすることがあります。定期的に松に近づいて内部を観察する習慣が早期発見につながります。
地衣類の発生は管理不足のサイン
今回、枝に地衣類(苔の仲間)がギッシリとこびりついていたことが発見されました。地衣類は湿気が強い環境でどんどん増えます。自分の庭の松の枝に苔のようなものが増えてきたら、剪定で内部の風通しを改善することが必要です。
土壌管理も松の健康に重要
今回の治療では土壌改良も行われました。松は排水が良く、適度な水分を保つ土壌を好みます。根元の周囲が常に湿った状態(水が溜まりやすい)になっていないか確認してください。改善が必要な場合は専門業者に相談することをおすすめします。
よくある質問Q&A
Q. 庭の松の幹に穴(空洞)があります。どうすればいいですか?
A. まず専門業者(造園業者・樹木医)に現状を診てもらうことをおすすめします。空洞の大きさ・深さ・腐朽の進行度によって対処方法が変わります。今回の笠松3号木のような腐朽材の除去・殺菌剤の塗布が必要な場合は、専門技術が必要な作業です。
Q. 松の枝や幹に苔・地衣類がついています。問題ですか?
A. 少量であれば緊急の問題にはなりませんが、大量にこびりついている場合は内部が常に湿った状態になっている証拠です。地衣類は枝や新芽を覆い、放置すると枝が枯れる原因になります。早めに除去して風通しを改善することをおすすめします。
Q. 松の支柱が腐ってきました。放置しても大丈夫ですか?
A. 放置は危険です。支柱は重い枝や幹を支えて倒木・折れ枝を防ぐためのものです。腐朽した支柱は強風・積雪時に折れてしまい、支える役目を果たせなくなります。早めの交換が必要です。
Q. 松の剪定後に切り口に何か塗る必要がありますか?
A. 必ず癒合剤(トップジンMペースト等)を塗ってください。切り口から腐朽菌が侵入することで、今回の笠松3号木のような空洞化が起きる可能性があります。特に太い枝を切った場合は切り口全体に厚めに塗ることが重要です。
600年という歳月を生き続けてきた笠松3号木の治療は、樹齢を重ねた古木が抱える問題のすべてが凝縮された現場でした。空洞化・地衣類の繁殖・枯れ枝の蓄積・土壌の悪化、これらは規模は違っても、長年管理を怠った古い庭木にも起きうる問題です。「近くで観察する」「切り口に癒合剤を塗る」「定期的な管理を続ける」という3つのポイントを守ることが、大切な松を長く守るための基本です。このページが皆さんの松管理の参考になれば幸いです。


